備忘録

虫さんなので走りません

一から了まで

 美人薄命とか、天才は早死にするとか、そういう話は昔からよく聞く。実際、天才と呼ばれた多くの人々は早死にするイメージがある。ニルヴァーナカート・コバーンとか、ミッシェルガンエレファントのアベフトシなど、あげればキリがない。

 僕は今日、ヒトリエのボーカルであり、ボーカロイドを使用した楽曲を製作しているwowaka氏が亡くなった事を聞いた。先日のライブが中止されたのはこれが原因だったのかと冷静に考えている自分と、ショックで何も言えずにいる自分がいた。

 このブログを書き始めたのは、Twitterでそのことを知り、そのままそこで自分の考えを垂れ流し続けるのは憚られたし、不特定多数の人間がさらっと目にしてしまうSNSの場ということもあったからだ。そこでこのブログに書くような内容をショックを受けた人々に見せつけるわけにもいかず、耳当たりの良い言葉を探していたのだけれど、そうやってわざわざ捻り出したような言葉を吐き出すのも違うだろうと思う。

 不謹慎だとか批判を受けるのが怖いとか、そういう訳ではなく、鬱を加速させてしまうのが申し訳ないという事です。失意のどん底にある人はここでこのブログを閉じてください。

 

 僕は元来ボーカロイド等合成された音声が苦手で、その他の楽曲は避けて生きてきた。否定するわけでも肯定するわけでもなく、ただ単に苦手だから避けてきたのです。ところが、当時ロックのサウンドに魅了され、ヒトリエというバンドに出会いwowaka氏を知り、彼の作成したボーカロイドの楽曲を聴くようになった。現在の、現在で言う"ボカロらしさ"という1つの音楽の形、時代を作り上げた彼の楽曲は当然の評価を受け、僕も当然のように虜となった。とは言え、合成音声が苦手なことは変わらず、調声が上手い、サウンドに溶け込んでいて、1つの楽器として機能しているなどの特徴がない限りは他のボーカロイド楽曲を聴くことはできなかった。

 wowaka無しではボカロの歴史を語れない、と言って良いほどの存在だと思う。今でこそ米津玄師という名前で有名になったハチさんと同列に語られるほどに。それほどまでに大きな影響をボーカロイド界に与え、時代を作り上げた、そんな才の持ち主だ。決してこんな若くして奪われてはならない命だっただろう。

 才能というものは、枯渇はしてもそれそのものが失われることがないものだ。でもそれは、死んでしまったら意味がないものだ。生きていれば、作ってきたものを大切にしつつ暮らす中で、新たなものをさらに作り出すことができるかもしれない。

 変なプライドにすがりついて枯渇した才能で出涸らしのようなものを作り続けるより、いっそそこで全てを捨てて、今までのものを愛しながら生きていってほしい、それが出来なければ全てを捨ててしまったり、いっそ死んでしまった方が完成されると僕は思っている。僕はこの考え方にどれだけ否定的な意見を受けようと、これが変わることはない。僕は幸せの高みを通り越して失意のどん底に落ちたところで死ぬより、幸せの絶頂の中で死にたい。そういう考えがベースになっているのだと思う。だからと言ってその方々に死ねと言っている訳ではないし、ここが落ち目だなと感じたらすぐに離れるようにしている。それは僕がその先を見たくないからでもあるし、その時点で、僕が離れた時点でその人々は完成された最高の人間たちのままで保存されるからだ。例外はあるが、それはまた別の時にでもお話しようと思う。

 それでも、その考えがあっても、wowaka氏はここで死ぬべきではなかったと思う。まだ残っていた才を使い切っていないように思えたからだ。僕の中での絶頂期は、3年前に発売された『IKI』のアルバム曲である『リトルクライベイビー』が発表された時だ。聞いた瞬間に鳥肌が立った。才気という風が全身に吹き付けてくるような感覚に陥った。この曲1つを聞くだけでヒトリエというバンドがわかってしまうような、そこまで思ってしまえるようなそんな曲だった。この時から、僕はヒトリエを追いかけないようになった。

 当時の僕は、ヒトリエというバンドは完成されてしまったのだと感じてしまったのだ。その後の曲達は以前と雰囲気が変わったとは思うが、落ち目だとは思っていなかったし、その後の曲が出涸らしだとも思っていない。ただ単に、僕の中で、ヒトリエというバンドがリトルクライベイビーで完成してしまっただけなのだ。自分が自分として生きている時代に、自分の目の前で完成された姿を見てしまい、僕はどうすることもできなかったのだ。

 一から了まででやっと完成のはずなのに、了にたどり着く前に完成してしまっていた。僕の中では完成してしまったとは言ったけれど、僕は心のどこかで了の完成を楽しみにしていたのだ。解散をするにしても、何十年後の老衰にしても、持てる才を全て使い切り、吐き出し切った後であれば僕はここまで苦しんでいなかっただろう。そうでなくとも、ミッシェルのラストライブでの世界の終わりのような、plentyの蒼き日々のような、そんな終わり方であればよかったのだ。それが今回のような、急性の、突然の死によって強制的に幕を下ろされるような終わり方は本当に苦しかった。

 僕が覚えている限り、人の死でこんなに苦しんだのは初めてだと思う。苦しんでいる理由が「その死に自分の中で納得がいかない」というなんとも自分勝手な理由であるのが情けない話ではあるけれど。

 今の僕には綺麗なまとめ方はできないけれど、自分の考えや思っていたことは書ききったように思います。彼の音楽に影響された人たちや、彼と関わって生きた全ての人々が、綺麗な完成を目指せるように、心の底から応援しています。ここまでありがとうございました。